東大入学式の祝辞で思い出した、賢すぎる医学部生の話




昔、ハワイでスカイダイビングをしたときに

出逢った九大生2人組がいます



彼らは医学部六年生、卒業間近の時期でした



なんで医者になろうと思ったのか聞いたら、

1人は、医者の父親の背中を見て

”人を救いたい”という思いで

がんばってきたって言ってました



ところが、もう1人の男性には

”人を助ける”とかいう思いは

まるでなかったのです・・・





その男性は高校生時代も

ダントツで成績が良くて

だから成績順で、流れで当然のように

国立の医学部に入ったとのこと





願望も理想も夢もないけど

当然のように卒業して

成績順からいうと、研究職じゃなく臨床医で

優秀が故に多分、

心臓か脳外科あたりに落ち着くことになるだろう

って話してました





『僕は人を助けたいとか

命を救いたいとか思ったことがない

そんなんで医者になっていいのか

迷ったことはある

だけど他に特別やりたいこともなくて

流れでここまできちゃった

まあ、医者も嫌じゃないし…』

と言ってました





そんな医者の卵と話して、


私は、「そんなに優秀な人が

お医者さまになってくれて

日本の医療も安心だわ〜❤️」

という思いよりも、



「正直、大丈夫なんかナ」

と思ったことを覚えています。 





東京大学の入学式での

上野千鶴子さんの祝辞が反響を呼んでいますね

祝辞はこちら



「勉強ができるお金や時間、

環境、がんばれる身体があることも、

当たり前ではなく、

誰かのおかげで整えられたもの。



恵まれた環境と恵まれた能力を、

恵まれない人々を助けるために使ってください。」



とお話されました。



根深い女性差別の観点からお話されたのですが



優秀な人や、人に影響を与える仕事をする人にほど

響いてほしいお話ですね



医学部生の話に戻ると



臨床医ってひとりひとり

人の体と向き合う仕事。



1つとして同じケースはなく

体の声を聴き、患者さんの話を聞き



その人にとって最善の治療をしていく仕事



人を助けるためには

相手の気持ちをわかる必要もあって

最先端の医療を押し付けることが

最善だとも限りません





感謝がなければ

かしこい―かしこくない

という単純な物差ししか持たずに



正しいー正しくない

価値があるー価値がない



なんて物差しにすり替えてしまう危険があります



なぜなら、

勉強ができるとか賢いというのは

他の物差しよりも

評価され、金銭を産むのに役立つことから

それが正しい物差しだ、と思いがちなのです



自分本位な偏ったモノサシで測り、

人間の価値を付けて傲慢になる危険を

紙一重で持ち続けることになります。







もしも、種類の違う他の物差しに測れば



実は、自分がいかに受け取っているか

いかに愛されて、守られているのか

たくさん許されて、見逃してもらっているのか





ということがわかります





そこまで広く見えている人と



偏った物差しですべてを判断する人と



どちらが本当に優秀なのでしょう・・・



鍵となるのは

『感謝』です



おかげさま、という意識は

精神的成熟レベルを上げ、

習慣にすることで、

人に与え、また受け取っていることに

気づくことができます。





頭がいい人も

容姿がいい人も

金銭に恵まれた生まれ育ちの人も

家族に恵まれた人も

チャンスに恵まれた人も

冒険心に恵まれた人も

がんばれる人も

あきらめない心を持っている人も

自分を信じることのできる人も



『感謝』して



あなたの強いその分野で

恵まれていない人を

ぜひ助けていってくださいね!


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